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会長挨拶

第13-14期(2002-03年度)

戦争と平和のはざまの国際教育

延岡 繁(中部大学)

 第13回日本国際教育学会秋季研究大会が昨年11月16・17両日に早稲田大学国際会議場を会場として開催され,参加者一同,和やかな雰囲気のうちに無事終了したことは喜びに絶えません.大会の準備実行委員長であった碩学,鈴木慎一先生の御厚意と御尽力に深く感謝申し上げます.特に特別講師として,中国中央教育研究所から(副所長)謝国東氏,(成人教育センター長)頼立女史,(成人教育センター員)孫誠女史,英国グラモーガン大学教育学部教授デーヴィッド・ターナー博士を御招待され,すばらしい講演を耳にしたことでした. また,日本側からもそれに呼応して,信州短大の庵谷利夫教授,創価大学の李燕教授,国士舘大学の岩間浩教授,国立教育政策研究所主任研究官の永田佳之氏,玉川学園大学の朱浩東助教授などが提案者,討論者として特別参加して下さったことです.その他,大会のために貴重な時間を割いてお手伝い,また,研究発表や会場で司会など大会の運営を手伝ってくださった会員の皆様に厚くお礼申し上げます.大会は一部の活動家のためのものではなく,学会員みんなで参加し,お手伝いして盛り上げて行くものだと再び思いました.
 第1日目の課題研究の後,2002年度の定期総会が開催されました.特に出席会員数と委任状提出会員数の集計数が国内在住会員数の3分の2を超え,数年ぶりに「(本)総会」が開催されたことを特記しましょう.司会ははるばる海を越えて参加されたシアトル大学東アジア校理事長の金城栄喜博士が選出され,その卓越した経験とウイットに富む人格の発露により,極度に限定された1時間以内に全ての予定事項の審議と議決が行われ,出席者全員による拍手喝采により,これも無事終了いたしました.
 さて,マッカーサー元帥が終戦直後,占領軍総司令官として日本に到着した直後,記者団の質問に対して,「日本は12歳の少年だ」と語ったと言い伝えられていますが,わが日本国際教育学会も,創立12年目で,まさに「12歳の少年」です.未熟,未完成の短所もありますが,将来,必ず成人し,社会人となって活躍する可能性を夢として,懸けて行きたいと思います.その後,日本の国はマッカーサー軍の占領終了後,数十年にして,世界一の経済大国に成長し,ナンバーワンに成るには成って喜んでみたのですが,どうもそれが狐につままれたようで,その「つけ」が今,われわれに圧し掛かっているようで,何とも言えない低迷し,混乱した社会で,わたしは今,窒息しそうな感じで生きております.
 一方,外に目を向けると,今また大戦争が起こりそうです.それがわが学会と何の関係があるのかと反問される方もおられるかもしれませんが,わが学会員の研究課題は必ず「○○○(時代の)×××(地域の)△△△(課題)」というように,時間,空間,事象が対象とされています.つまり,戦争などが起こると中断されるものばかりです.戦争が起これば外国旅行が極端に制限され,奇妙なことに外国の研究など馬鹿にされ,軍事予算が急騰し,教育予算が極端に制約されます.総てが戦争という「国家総動員的な規模の人殺し事業」が優先され,倫理道徳観の逆転が行われ,殺人者に勲章と年金が配られます.
 先学期,わたしは「学徒出陣」「神風特攻隊」「聞け,わだつみの声」「戦艦大和の最期」などのビデオを学生に見せ,感想文を書かせましたが,現代の学生は太平洋戦争のみならず,「日本の歴史」などの過去からは,何も学ぶものがないと考えているようでした.つまり,新しく流行として入ってくる「珍奇なもの」には関心が湧きますが,既に忘れられ,捨てられたゴミのようなものは発掘しても,価値はないと思っているようでして,本当に驚きました.これが教育の現実だとするとわたしたちの研究は何なのか,次世代を築く彼らに何ほどの意義があるのだろうかと考え込みました.
 先日の秋季研究大会でも話題となりましたが,1930年代の「新教育運動」とは何であったのかということです.当時も,「新しい人間教育」の理念が学者により日本にも紹介されたのですが,「時勢や国体に合わないもの」と決め付けられ,導入はダメでした.結局は「軍国主義教育」に押しつぶされ,夢として流れました.そして,軍部の台頭と太平洋戦争は教育学者の力だけでは防げなかったのです.終戦となり戦後のアメリカ式民主主義教育の時代となりましたが,ベトナム戦争当時など,アメリカの政策を少しでも批判すれば,「お前もアカか?」などと上司や同僚からも問われ,結局は国の教育行政のワクつき路線に引き戻された経験は年配の方にはあったかもしれません.
 いや,大戦争の準備が時代の風潮となっても,「戦うことの無意味さ」と「学ぶことの尊さ」を,血を吐いてでも教えて行くのが国際教育学者だと,わたしは思います.ある人種を,ある国民を,ある集団を「何かの真しやかの条件」で敵と断定して断絶するよりも,研究の対象としてでも融和して学び合い,モノ,ヒト,カネ,チエ,などを交換し,経済活動の対象にまで変えた方が「はるかに良い」のではないかと思います.その意味でわたしたちの国際的な研究は大いに振興させなければなりません.その意味でわたしたちの研究は世界平和の一翼をも担うものだと自負しています.

木を見るのか,森を見るのか,それとも何も見ないのか

延岡 繁(中部大学)

 第14回大会は,愛知県春日井市の中部大学で2003年11月8日(土),9日(日)の2日間に開催されました.大変に交通不便なところでしたが,多数の学会員のみなさま,それに学会に興味を持たれた学会外の方々も参加してくださり,感謝でした.参加者は遠方はモンゴル,ハワイからも来られ,また,他の学会や結婚式(御自分のですか?)を途中で抜け出して来られた方もおられました.開会の前夜に名古屋市内で理事会を開催いたしましたが,それも盛会で感謝でした.
 大会のテーマは「グローバリゼーションと国際平和教育」でした. 初日の武者小路公秀先生の御講演「グローバル時代の人間安全保障―とくに排外主義克服を目指して」が,先生独自の観点から問題を捉えておられたと思います.学会員による自由研究発表(全16題)も実に多様で,それが本学会の特徴の一つですが,発表された論文の関係地域もアジア,ヨーロッパ,南北両アメリカ,日本にまたがり,研究の対象も過去のものも,現在のものもありました(プログラムの紹介と反省は別項に省略).お忙しい中を遠方からおいでくださり,研究発表してくださった方々には重ねてお礼申し上げます.但し,最後の総合討論会ですが,準備不足と時間の関係から,学会そのものに対する要望や期待などを話し合うまでには行きませんでした点,お詫び致します.
 さて,昨年と今年の間に何が変わったのでしょうか.当学会内で変わったことは,あまりありません.理事や役員は2年制ですから.しかし,世界の情勢は大変に変わりました.わたしは「狼少年」ではありませんが,遂にイラクで戦争が起こり,終わりました.そして,日本がその戦後処理に大きく関わってきました.皆さんのご親戚やご近所や学生やお知合いの中にイラクに行かれる方はいないでしょうか.「それが学者の学問と何の関係があるのか」,「雨が降ろうが,嵐が来ようが,ただ,学問を続けるだけだ.それが学者の道だ」と言われる先生方もおられるでしょう.また,「わたしはまだ院生ですから」とか「今は研究に忙しいので」とかいって世間の動きに疎んじているスキに,いつの間にか誰かさんたちによって,憲法は改正され,税金は上げられ,年金は下げられ,医療保険費はカットされ,いや,日本の「教育」も改革され,全く別のものになってしまう可能性があるのです.「教育改革」はもう何十年も前から世の論者や知者の先生方から叫ばれておりますし,現在では,政治家の先生方も日本構造改革論の中で盛んに申しておられます.何でもそうですが,一度変えられてしまってから,「わたしは改革には反対だった」などと言っても,時は既に遅いのです.誤解を避けるために申し上げますが,わたしは,何かの特別な団体や主義や主張の宣伝や伝達をする者ではありませんし,誰にも何も頼まれてもいません.
 さて,話は別ですが,本の再販制度が改正され,やや古い参考書の入手が難しくなったとお感じになられた先生はおられませんか.昔と違い,現在,本は非常に限られた短期間しか本屋さんの棚に置かれていないのです.本は本屋さんで見たら直ぐに買うべきで,「来週また顔でも洗って出て来ようかな」では遅すぎる場合があるのです.「研究」は確かに学者の生命ですが,学者もまたこの世に生きていかなければならない筈です.わたしは当学会員の方々の大切な研究が,この世で生きて役立つことを切に願い,あえて馬鹿げた駄文を書いて紙面を汚しました.どうぞ失礼をお許しください.

日本国際教育学会とは?

延岡 繁(中部大学)

 最近,わたしは,「日本国際教育学会とは,何をする学会ですか」としばしば聞かれますが,「国際教育に関する学術研究をする学会です」とお答えしています.
 「国際教育」という単語が一般化してきたのは第一次世界大戦後のヨーロッパで,戦争という不幸で悲惨な人為的行為への深い反省に立って,(1)偏狭な民族主義や国家主義への反省,(2)それを醸成しがちな国民教育の見直し,(3)国際協調と世界平和への希求などを盛り込んだ新しい教育理念と志向を基にした新教育の研究とその普及運動がヨーロッパやアメリカで起きてきました.
 しかし,その後の世界の歴史は第二次世界大戦,冷戦体制,朝鮮戦争,ヴェトナム戦争,中近東戦争,多発テロ事件から現在のイラク戦争へまで進んできています.その原因としては,(1)全人類があまりにも自国優先主義のナショナル・エゴイズムに加担し,(2)大悲劇である戦争責任の追及と反省に対する曖昧な態度,(3)新時代に相応しい新教育の認識や知識の浅薄さ,問題の把握とその研究と独創的な実践力の不足から,教育界の荒廃と無力化を招いているという認識にわたしたちは立っています.
 「全世界の人々の平和と協力」のすばらしさは,世界各国の各地の学校で教えられています.そして,それ自体は非常に有益なことですが,現実的には(国家間の)戦争を阻止する勢力にまで体質強化はできず,教育界には問題も山積しています.その意味でも,近年,各方面で強調されてきた「国際化」のあり方も再追求し,日本における「国際教育学」の確立とその研究発展を目的としている学会ですとも説明できると思います.
 日本も含めて,世界中の近代国家では子どもの義務教育制度が法的に制定導入され,国民の権利であると同時に義務として適用されていますが,その内容は何であるのか,どのような人間を育成しているのか,国際的には,「自由と独立,平和と協力」が一応は高揚されていますが,現実的には問題が山積しています.現在では,どこの国でも「外国との関係と影響」を無視や除外はできない状態ですが,その現実は案外に見えないのです.
 国際教育の研究と実践は単に教育界のみならず,人間生活の全領域に関係しており,非常に多岐にわたっています.日本でもヨーロッパでもアメリカでも国際教育の研究が第二次世界大戦後急速に進みました.特に国連とユネスコの設立が大きな刺激となり,影響も大きいでしょう.
 本学会は1990年に当時,東京大学教育学部教授であった松崎巖の「教育の国際化」と「人類愛に根ざした(教育)哲学の確立」の呼び掛けに呼応し,国際教育に携わっていた内外の研究者や学者が東京に集まって設立されました.その後,日本全国のみならず,外国にも会員が増え,その結果,本学会の組織も当然ながら国際的となり,理事も名誉理事も日本国籍と外国籍が半数ずつ分かち合っております.とてもユニークな学会です.僭越ながら私事で失礼ですが,わたし自身も日系人ですが国籍は外国籍です.
 本学会の紀要に掲載された研究実績には外国教育(制度)研究,帰国子女教育,植民地教育,留学生教育,文化交流関係から,最近では,二言語教育,多言語教育,環境教育,共生教育,生涯学習などの問題が多いですが,新世紀となり,現在,日本でも,世界でも環境,福祉,教育などの領域で時代と社会の要求する問題は多種多様です.その複雑な問題の1つにでも対決対処するのが本学会に与えられた研究の任務だと考えています.
 どうぞ,あなたも,この機会に本学会に入会され,国際教育の一問題を研究され,発表され,時代の要望に応えて下されば,大きな喜びと共に,大歓迎申し上げます.